M.glitter Journal
創価学会2世として育った私|信心とともに歩んだ学生時代
信心体験記 Vol.1
はじめに|私と創価学会の出会い
私は、創価学会の2世として育ちました。
両親ともに創価学会員で、私が入会したのは4歳の頃。
とはいっても、当時の私は信心について深く理解していたわけではありません。
両親が信心していたから、私も自然とその環境の中で育った。そんな感じだったと思います。
学生時代には学会の合唱団にも所属していました。
学会を通じてできた友達もいて、幼稚園以来、学校は別々だったのに、今でもつながっている友人もいます。
その一方で、葛藤がなかったわけではありません。
宗教というものは、なかなか周囲に理解してもらいにくいもの。
合唱団の活動があるからと、友達からの遊びの誘いを断らなければならないこともありました。
正直、複雑な気持ちになることもありました。
それでも、母から励まされながら、少しずつお題目をあげていたことは覚えています。
幼い頃の信心に関する記憶は、あまり多くありません。
だからこそ今回は、今でも覚えている学生時代の出来事を振り返りながら、私と信心の歩みを綴ってみようと思います。
側弯症との出会い|身体への不安
中学1年生の頃は、それなりに楽しく学校生活を送っていました。
中学2年生のとき、父が家を建てたことで引っ越しをしましたが、転校はせず、それまでの学校に通い続けることに。
学区外になったため、毎日長い距離を歩いて通学していました。
そんな頃、私にとって大きな出来事がありました。
それは、側弯症がわかったことです。
側弯症とは、背骨が左右に曲がったり、ねじれたりする状態のこと。
長距離通学が関係していたのかはわかりませんが、当時の私にとっては本当にショックな出来事でした。
特に怖かったのは、装具をつけることになるかもしれないということ。
まだ中学生だった私は、装具をつけたら自分の身体はどうなってしまうんだろう、周りからどんなふうに見られるんだろうと、不安でいっぱいでした。
夜、一人で泣いたこともあります。
幸い、装具をつけることにはならず、高校時代には毎週整体に通っていました。
当時は、完全に治すことは難しくても、進行を抑えることはできるという話を聞いていました。
また、成長期を過ぎれば進行が落ち着く可能性があるとも説明されていました。
当時の詳しいコブ角(背骨の曲がり具合を表す角度)は覚えていませんが、装具が必要と判断されるほどではなかったのだと思います。
そうしているうちに成長期も過ぎ、現在に至ります。
もちろん、側弯症が完全に治ったわけではなく、今でも経過観察を続けています。
そして現在、私はヨガインストラクターとして活動しています。
ヨガを始めた理由は側弯症だけではありませんが、身体への悩みもきっかけのひとつでした。
まさか中学生の頃の自分が、将来ヨガを教える立場になるなんて、当時は想像もしていませんでした。
そのお話は、また別の機会に。
中学3年生|人間関係に苦しんだ日々
中学3年生になってから、私の学校生活は大きく変わりました。
仲の良かった友達とクラスが離れてしまい、クラスの中で孤立するようになったのです。
ほかの子と仲良くなろうとしても、すでにグループができあがっていて、なかなか馴染むことができませんでした。
その頃から、男性に対する苦手意識も強くなり、男の子と話すことさえ怖くなっていました。
学校に行きたくないと思う日もありました。
それでも、不登校になるのは悔しかった。
唯一の救いは、友達がいた部活動。そして、行きたい高校がはっきり決まっていたことでした。
「高校生になったら、きっと変われる」
そんな希望を胸に、毎日を耐えていたように思います。
この頃も、私はお題目をあげていました。
お題目とは、日蓮仏法で唱える「南無妙法蓮華経」のことです。
もちろん、お題目をあげたからといって、すぐに学校生活が楽しくなったわけではありません。
それでも、苦しい日々の中でお題目をあげながら、いつか始まる高校生活を心の支えにしていました。
そして、志望していた高校に前期選抜で合格。
ようやく、ずっと待ち望んでいた新しい生活への道が開けたのです。
高校デビュー|自分を変えたかった私
中学時代の私は、どちらかというと大人しく、いわゆる「陰キャ」だったと思います(笑)
でも、本当はもっとおしゃれを楽しみたいし、かわいくなりたい。
何より、自分を変えたいという気持ちがありました。
進学先は、校則が比較的ゆるく、自由な校風の高校。
中学の卒業式の翌日には、さっそく髪を染めました(笑)
高校に入ってからは化粧も始めましたが、最初は本当に下手くそで……。
それでも、髪型やメイク、ファッションを変えることで、自分の気持ちも少しずつ変わっていきました。
私の高校は単位制だったため、授業ごとに一緒になるメンバーも違いました。
そのおかげで、さまざまな人と出会う機会があり、自分から話しかけたり、話しかけてもらったりしながら、友達も増えていきました。
中学時代はあんなに人間関係で悩んでいたのに、高校では毎日が本当に楽しかったんです。
自分で授業を選べることも、やりたいことに挑戦できることも、すべてが新鮮でした。
中学時代に感じていた窮屈さから、ようやく解放されたような気持ちでした。
自由を楽しんだ高校生活
高校に入ってからは、アルバイトにも挑戦しました。
最初はコンビニで働き、その後はスーパーのレジや郵便局の短期アルバイトなども経験しました。
自分で稼いだお金でピアッサーを買い、ピアスを開けたのもこの頃。
とにかく、やってみたいことがたくさんありました。
高校2年生になると、友達との仲もさらに深まり、研修旅行では沖縄へ。
一方で、朝起きるのが苦手で遅刻したり、ときには授業をサボってカラオケに行ったり……。
決して優等生とは言えない高校生活でした(笑)
自由を楽しむ一方で、自由には責任も伴うということを、少しずつ学んでいったように思います。
高校3年生では進路に悩みました。
本当は進学したい気持ちもありましたが、家庭の事情もあって就職を選択。
以前から工場で働いてみたいという興味があったこともあり、地元の工場への就職が決まりました。
そして、卒業が近づいた頃には、同じクラスの男子グループとも仲良くなりました。
「もっと早く仲良くなればよかったね!」
そんな話をするほど、自然に打ち解けられるようになっていました。
中学3年生の頃は、男の子と話すことさえ怖かった私。
それが、いつの間にか普通に話して、笑い合えるようになっていたのです。
振り返って感じる信心の存在
こうして学生時代を振り返ってみると、本当にいろいろなことがありました。
側弯症への不安、人間関係の悩み、男性への苦手意識。
中学時代には、毎日学校へ行くことさえつらかった時期もありました。
それでも、高校では新しい友達に出会い、おしゃれを楽しみ、自分から人に話しかけられるようになりました。
当時の私は、こうした変化と信心をどのように結びつけて考えていたのか、正直あまり覚えていません。
ただ、振り返ってみれば、つらかった中学時代も、自由を手に入れた高校時代も、私のそばには信心がありました。
もちろん、環境が変わったことや、友達との出会い、自分自身の努力も大きかったと思います。
それでも、苦しいときにお題目をあげていたことは、今の私にとって大切な記憶のひとつです。
まだ自分の意思で信心と向き合っていたとは言えない学生時代。
親の信心についていくような形ではありましたが、さまざまな経験を重ねながら、少しずつ自分の世界を広げていったのだと思います。
そして高校を卒業し、いよいよ社会人へ。
ここからまた、私の人生にはさまざまな出来事が待っていました。
そのお話は、次回の信心体験記で綴っていきたいと思います。